神社名 | 佐間天神社 | |
ご祭神 | 菅原道真公 | |
所在地 | 行田市佐間1-10-6 | |
例祭日 | 9月25日 | |
佐間天神社神門は安政3年の大火で類焼したが、ここで火が止まったため、「火防の門」と呼ばれています。尚、境内のけやき群は行田市文化財に指定されています。 |
神社名 | 春日神社 | |
ご祭神 | 武みか槌命、齋主命、 天児屋根命、比売神 |
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所在地 | 行田市谷郷395 | |
例祭日 | 8月19日 | |
春日神社は、忍城主成田親泰公が、氏神として大和の春日神社から勧請したものです。神使は鹿で、勧請以来毎年2頭ずつ、春日から送られてきたといいます。現在、鹿社の祠があり、「御使鹿」とあり宝暦4年と刻まれています。 |
神社名 | 愛宕神社 | |
ご祭神 | 阿遇突智命、大己貴命 | |
所在地 | 行田市行田24-21 | |
例祭日 | 10月24日 | |
愛宕神社は、忍城下の北東、長野口に当たり、戦略上の要所でした。古くから、火防の神として信仰されていました。当社には、12月6日に酉の市が開かれ、行田一の賑わいを見せます。 |
神社名 | 愛宕社 | |
ご祭神 | 阿遇突智命、大己貴命 | |
所在地 | 行田市行田1-1 | |
例祭日 | 10月24日 | |
愛宕社は、火防の神として信仰されました。この地は、忍の城下町として江戸期より人家の密集していた消防技術の発達していない当時としては火災は非常に恐ろしいものであり、愛宕さまに火災よけを祈ったものです。境内「第一部消防組、大正十三年十月」と刻む石灯篭があります。 |
神社名 | 前谷天神社 | |
ご祭神 | 菅原道真公 | |
所在地 | 行田市前谷1425 | |
例祭日 | 8月25日 | |
前谷天神社は、光明寺と隣接しており、参詣の折には神仏両方に参るのを例としています。 |
神社名 | 伊奈利神社 | |
ご祭神 | 宇迦御魂命 他1柱 | |
所在地 | 行田市利田587 | |
例祭日 | 9月4日 | |
伊奈利神社は、明治期から昭和20年代かけて養蚕が盛んになり、各地で養蚕講が結成されるようになり商売繁盛の神として多くの参拝で賑いました。 |
神社名 | 熊野神社 | |
ご祭神 | 家都御子神、熊野夫須美命、 速玉男命 |
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所在地 | 行田市須加4533 | |
例祭日 | 7月15日 | |
熊野神社は、社伝によると建武年中、山城国愛宕郡当山派修験醍醐三宝院末加納院宥長がこの地に社を勧請したといわれています。 |
神社名 | 治子神社 | |
ご祭神 | 天手長雄命 | |
所在地 | 行田市下中条1655 | |
例祭日 | 7月28日 | |
治子神社の獅子舞は、「中條のササラ」として知られており、市の文化財に指定されています。8月中旬の日曜日に上演されます。 |
神社名 | 久伊豆神社 | |
ご祭神 | 大己貴命、事代主命 | |
所在地 | 行田市小見935 | |
例祭日 | 10月15日 | |
久伊豆神社は、旧小見村の鎮守であり、幕政期は村内の修験専蔵院が別当をつとめていました。往時「久伊豆社」と号し、社号額に「正一位区伊豆社」とあることから、卜部の宣旨があったものと思われます。 |
神社名 | 八坂神社 | |
ご祭神 | 素盞鳴命 | |
所在地 | 行田市下須戸1375付近 | |
例祭日 | 7月第2土日曜日 | |
口碑によると、約700年前、鎌倉幕府の圧迫を受けた一人の僧が、牛頭天王の像を奉じて当地にすみついたといわれています。これが当社の旧別当真言宗天王院医王字の開祖であり、同寺の寺鎮守として牛頭天王像を祀ったことが当社の開祖です。 |
神社名 | 関根神社 | |
ご祭神 | 倉稲魂命、菊理姫命外3柱 | |
所在地 | 行田市関根365 | |
例祭日 | 4月15日 | |
当社は稲荷社と呼ばれ倉稲魂命を祀り、境内社として天王社を祀っていました。明治40年字野中の村社日枝神社・無格社白山神社を本殿に合祀し、更に天神社、塞神社、道祖神社、厳島社、姫宮社、金刀比羅社を境内末社として合祀し社号を関根神社と改めました。 |
神社名 | 久伊豆神社 | |
ご祭神 | 大己貴命 | |
所在地 | 行田市真名板1312 | |
例祭日 | 10月15日 | |
久伊豆神社の由緒は不祥である。「風土記稿」によると境内近くに花蔵院通称薬師堂があるが、この花蔵院が当社の別当でありました。明治年間に花蔵院が焼け、関係書類も焼失したので、近世以前が不明です。 |
神社名 | 御嶽神社 | |
ご祭神 | 大己貴命、少彦名命 | |
所在地 | 行田市下須戸2727 | |
例祭日 | 9月十五夜の日 | |
当社創立の記録は残っていませんが五百年前、見沼用水開発以前、すなわち徳川入府百余年前星川本流が当下須津を流れていた時に獅子頭三頭が漂着し、これを喜んだ村人が当社に獅子舞を奉納したとの伝承があります。 |
神社名 | 剣神社 | |
ご祭神 | 日本武尊 | |
所在地 | 行田市持田5937 | |
例祭日 | 8月19日 | |
剣神社の鎮座する字竹の花は、文明年中に築城されたという忍城の持田口の西にあたります。社記によれば、当社は日本武尊東征の折、当地で剣を杖にしてしばらく休息されたことから尊の威徳を偲ぶ村人が宝剣を神体に社を建てたことに始まるという日本武尊伝説があります。 |
神社名 | 諏訪神社 | |
ご祭神 | 建御名方命 | |
所在地 | 行田市持田6035 | |
例祭日 | 8月19日 | |
当社の創建は「明細帳」によると建久のころで成田泰時が忍氏を滅ぼし延徳2年(1490)忍城を造営するとともに当社を城内諏訪社として勧請したと伝えられます。また一説には成田下総守親泰が新たに忍城を築く際、当社は城中となり城鎮守になったため鎮守を失った当地は隣村と相談し同社の分霊を奉齋したと伝えています。 |
神社名 | 天神社(竹之花) | |
ご祭神 | 菅原道真公 | |
所在地 | 行田市持田5994 | |
例祭日 | 8月19日 | |
当社の創建は、定かではないが持田は忍川の用水が水田よりも高い所を流れるため水利には困らなかった反面、水害を受けやすい土地でもあった。そのため同字内に鎮座する諏訪神社は延徳2年に治水の神として勧請され、そののち寛保2年の関東地方で起きた水害を受けたものとみえ、この年本殿を造営している。このようなことから当社もこのころ風雨火水を司る大自在天神、つまり菅原道真公を鎮めるために祀ったものと考えられる。 |
神社名 | 大宮神社 | |
ご祭神 | 事代主神 | |
所在地 | 行田市持田6516 | |
例祭日 | 9月5日 | |
社記によると「創建の年月不祥なれども、天正年中社殿兵火により焼失す。同5年忍城裏鬼門なるにより城主成田下総守社殿を再建し字大宮前において一石を免ずる」といわれています。当社の位置は戦略的にも城にとって重要な地点といわれ、天正18年石田三成が忍城攻略の火蓋を切った所であり、やがて攻めあぐねた三成により歴史上有名な水攻めが行われました。 |
神社名 | 勝呂神社 | |
ご祭神 | 中筒男命外4柱 | |
所在地 | 行田市若小玉2630 | |
例祭日 | 9月20日 | |
当社の創立は不祥であるが、神仏分離以前までの別当は真言宗安養山遍姓寺が務め、拝殿には往時のものと思われる懸仏があります。 |
神社名 | 天神社(相之道) | |
ご祭神 | 菅原道真公 | |
所在地 | 行田市城南14付近 | |
例祭日 | 1月24日 | |
文明年中に築城されたという忍城の南方に位置する。口碑によると昔、梅林と名乗る僧の坊があり、そこに当社が祀られていたと伝え、以来その地を天神坊と称しています。 |
神社名 | 鷺栖神社 | |
ご祭神 | 日本武尊 他16柱 | |
所在地 | 鴻巣市広田3814 | |
例祭日 | 10月15日 | |
鷺栖神社の創建については、昔伊勢の国を発ち、日本武尊が神霊白鷺となって当地に飛来し翼を休めたことから、「鷺の宮」の名がついたといわれています.当社には、ササラ「竜頭舞」が伝わり、町の文化財に指定されています(10/15に奉納されます)。 |
神社名 | 久伊豆神社 | |
ご祭神 | 大己貴命 | |
所在地 | 鴻巣市北根1282 | |
例祭日 | 10月24日 | |
古くから、元荒川沿いに発達した集落には久伊豆神社を祀っている神社が多く、当社もそのうちの一社です。社殿裏は明神様の社として親しまれ、竹林もありうっそうとしたたたずまいです。 |
神社名 | 赤城神社 | |
ご祭神 | 大己貴命 他2柱 | |
所在地 | 鴻巣市赤城714 | |
例祭日 | 10月15日 | |
当地の地名の由来は、群馬県に鎮座する赤城神社から嵐除けの神札がこの地に飛来して、これを祀ったことによります。古くから、明神様と呼ばれ「ムカデ」は神使とされ、殺してはならないといわれています。 |
神社名 | 住吉神社 | |
ご祭神 | 底筒男命、中筒男命、 表筒男命、神功皇后 |
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所在地 | 羽生市上新郷1379-1 | |
例祭日 | 10月15日 | |
当社の創建は、聖武天皇の代、住吉大神のお告げを受けた行基は、各地を回り当地に至り、これ住吉の社を勧請するにふさわしい所であるとして、社を建立したと伝えられる。 |
神社名 | 浅間神社 | |
ご祭神 | 木花咲耶姫命 | |
所在地 | 羽生市上新郷4701 | |
例祭日 | 10月15日 | |
当社は、安産の神として信仰され、昔、お産で死亡する者が多かったため、お産の神といわれる木花咲耶姫命を祀ったと伝えられ、以来お産の重い者や出産で死亡する者がなくなったといわれています。 |
神社名 | 稲荷神社 | |
ご祭神 | 倉稲魂命 | |
所在地 | 羽生市与兵衛新田260 | |
例祭日 | 9月1日 | |
明治40年5月、同字より秋葉社を合祀し、さらに戦後の耕地整理に伴い浅間社、山名八幡社、若宮八幡社、稲荷社を合祀しています。 |
神社名 | 大物忌神社 | |
ご祭神 | 大物忌神 | |
所在地 | 羽生市下新田1314 | |
例祭日 | 7月15日 | |
当社創始は明らかではないが、口碑に「昔この地には忍城の出城があり、古利根川を境に羽生の殿様とよく戦をしたために忍の本城に恨みを持って死んだ者が多く出て、これらの人々を祀ったのが当社である」といわれています。 |
神社名 | 諏訪神社 | |
ご祭神 | 武御名方命、倉稲魂命、市杵島命、少彦名命 | |
所在地 | 加須市串作854 | |
例祭日 | 8月27日 | |
当社の由緒は不祥ですが、古くから串作の鎮守として祀られており「風土記稿」にも「諏訪社 村の鎮守なり」と記載されています。 |